島田洋七元妻と現在の妻律子さんのがばい度は?ジェットコースター人生と年収?

島田洋七さんと言えば、

まさにジェットコースター人生を送った

漫才師ではないでしょうか?

昭和の漫才ブームの走りとして、

今から37年ほど前の「THE MANZAI」で

『B&B』(ビー&ビー)という漫才コンビを組み、

島田紳助、ボンチ、ビートたけしさん達とともに

大人気漫才コンビでした。

同じように、ジェットコースター人生の

横山やすしさんも健在でした。

横山やすしさんの追悼漫才です。

横山やすしさんこそ、波瀾爆笑(爆走)人生かもしれません。

島田洋七さんと横山やすしさんは、

管理人にとって、もっとも印象に残る漫才師です。

★島田洋七の波瀾爆笑人生 WIKI

島田洋七さんの波瀾爆笑人生は、

3つのステージに分かれると思っています。

  1. 『B&B』(ビー&ビー)漫才コンビとしてブレイク
  2. 『佐賀のがばいばあちゃん』でブレイク
  3. 商売の失敗、離婚、再婚をへた現在
  • 名前   :島田 洋七(しまだ ようしち)
  • 本名   :徳永 昭広(とくなが あきひろ)
  • 生年月日 :1950年2月(2017年現在68歳)
  • 出身地  :広島県広島市
  • 出身校  :広島工業大学土木工学科中退
  • コンビ名 :B&B(ボケ担当)
  • 相方   :島田洋八

1980年代、漫才ブームのパイオニアとなる。

ブームが去り、月収1億円の時代から、人気急降下。

19歳の頃、再び佐賀に戻る。

当時デパートに勤めていた先妻と知り合う。

20歳のとき、二人で東京へ駆け落ち。

東京へ行った目的は歌手になるためだったという。

間もなく貯金が尽き高校の先輩に誘われ大阪に移り芸人となる。

★島田洋七佐賀の「がばいばあちゃん」で大ヒット作家

島田洋七の両親は広島出身です。

終戦後の広島といえば、

原爆投下によって、20年間草も木も

一本も生えないだろうと言われていました。

  • 父親は疎開地佐賀から原子爆弾投下一週間後の広島に戻る
  • 家族を探して爆心地を歩き回り被爆した
  • 洋七が生まれた頃は病床で、洋七2歳のとき原爆症で亡くなる
  • 家族は母・兄・洋七の三人。
  • 小学校1年生6歳の頃、佐賀の祖母に預けられる。
  • 中学を卒業するまでの8年間佐賀で過ごす。
  • この体験が『佐賀のがばいばあちゃん』となる。
  • 出版されベストセラーとなり、映画化・ドラマ化された。

★島田洋七元妻と現在の妻律子さんのがばい度は?

「がばい」とは、佐賀弁で「すごい」という意味です。

『佐賀のがばいばあちゃん』は、

「佐賀のすごいばあちゃん」の意味です。

元妻の奥さんとは、19歳のときに知りあい

20歳のとき、二人で東京へ駆け落ち。

東京へ行った目的は歌手になるためだったという。

間もなく貯金が尽き高校の先輩に誘われ大阪に移り芸人となる。

貧しい時代を、二人で切り開いてきたが

離婚されたんですね。

現在の島田洋七は、

伊豆大島で再婚した奥さんと

田舎暮らしを楽しんでいるそうです。

芸人を止めて、事業に失敗した失意のときに

そばにいてくれたのが今の奥さんだそうです。

元妻と現在の妻律子さんのがばい度は?

どちらも5分と5分の引き分けです。

★気になる島田洋七の年収は?

B&Bの時代は、月収が1億を超えたこともあったそうだが、

その後急降下。事業欲が旺盛だったこともあり

お好み焼き屋、ゲイバー、温泉旅館などに次々手をだすも

いずれの事業も失敗。

しかし、今でも「佐賀のがばいばあちゃん」の印税が入り

講演会の収入なdふぉとあわせて

年間3000万円くらいの収入はあるとのこと。

★まとめ

ビートたけし、島田紳助とともに、

漫才ブームを作った一人だが、

他の2人とは違って、

まるでジェットコースターのような人生を送ったのが、

島田洋七でした。

話をしている9割がウスだったという信じられない逸話も

横山やすしと同じで、愛されるキャラでした。

もう、こんな芸人はでないでしょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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